HISTORY 歴史

ハイカラ神戸の歩みは、
ここから始まり、そして今が在る。

神戸港|アーバンライフ神戸三宮ザ・タワー
ハイカラ、異国情緒、エキゾチック…。神戸という都市を表すとき、自然に口をついて出るそれらの言葉は、神戸港の開港と共にあるといっても過言ではありません。

1868年(慶応3年)1月1日

イギリスなどの外国船が放った21発の号砲は、六甲連山に響き渡り、世界に開かれた港(「兵庫」として開港)の宣言を祝しました。開港の場所は、日米修好通商条約で交わした所(現在の兵庫県中ノ島辺り)より、さらに東に行った「神戸村」。1868年の神戸開港時には、まだ居留地は出来上がっておらず、その一部が完成したのは同年6月末のこと。しかし、外国文化は次々と上陸。ハイカラ神戸のストーリーは、確実にその歩みを始めていました。

1870年(明治3年)

ラムネの製造販売で有名なA.Cシム氏、六甲山に日本初のゴルフクラブを創設したA.H.グルーム氏らにより、神戸レガッタ&アスレチッククラブが設立。国際交流対抗試合も盛んに行われ、日本における近代スポーツの普及、そして国際都市に向けた神戸の発展の一翼を担ったとあります。また明治時代の初期、遊園地の南隣りに、ドイツ人が設立した社交クラブの建物が完成。体育館や劇場にもなる大ホールを備えていたそうですが、1881年(明治14年)ユニオン・クラブ(インターナショナルクラブともいう社交クラブ)に売却。クラブ名も後に、クラブ名も後に、神戸クラブと改められました。

1873年(明治6年)

イギリス人土木技術J.W.ハートと伊藤俊輔(のちの博文)により整備され、居留地の全体が完成しました。南北8筋、東西5条の街路。126区画の敷地。遊歩道、公園、街頭、整然と建ち並んだコロニアル様式の木造建築が醸し出すエキゾチックなムード。当時の英字新聞には「東洋の理想的な居留地」と報じられています。

未来を拓く、新たな歴史の刻印。

東遊園地|アーバンライフ神戸三宮ザ・タワー
神戸には、諏訪山、布引をはじめ自然を生かした美しい公園があります。日本初の西洋式公園は、神戸開港と同時に開設された遊園地(現・神戸市役所南側の東遊園地)。ここでは当時、居留地に住む外国人が、ラグビー、サッカー、ホッケー、クリケットなどのスポーツを楽しみ、異国の文化が開花しました。

1899年(明治32年)

居留地が日本に返還されました。現在も街の形状は変わらず、古き佳き次代の香りと最先端のハイカラが融合し、神戸オリジナルが息づいています。その一角に佇む『アーバンライフ神戸三宮ザ・タワー』は、神戸のモダンなセンスを纏い、時を経てなお光輝を放つ存在です。

1956年(昭和31年)

大正時代から昭和の初めにかけて旧居留地には多くの日本人が入り込むようになり、ビジネスの中心地として発展。大戦等の激動をくぐり抜け、1956年(昭和31年)に神戸クラブの跡地にアメリカ総領事館が建ちます。設計は、シアトルタワーやWTC NYなどを手掛けた、アメリカを代表する日系二世の建築家ミノル・ヤマサキ氏。日本の縁側を模したバルコニーを廻し、障子のイメージで創られた二階建の外観デザイン。洋式建築の中に日本の伝統様式を取り入れた美しい建築として多くの人々を魅了し、1987年(昭和62年)までその美しい姿をとどめていました。

未来へ

神戸をインターナショナル・シティへ導いたこの地に佇む『アーバンライフ神戸三宮ザ・タワー』は、神戸開港からワールドワイドな進化をとげる神戸、また、震災から支え合い歩んできた神戸の、様々な想いを紡ぎ、温かなコミュニティを育む拠点として、ファッショナブルな街の新たなシンボルとなっています。
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